約9カ月にわたり

事務運営指針

会社を起ち上げて1年目の決算で、小林はショックを受けた。年間の売上高は1億3200万円で、小林プラス2人の事務スタッフでこれだけ売り上げたのだから、たいしたものだと一瞬、満足しそうになった。しかし、さらに計算を進めていって愕然とした。税務申告をすると稼いだはずのお金のほとんどが税金の支払いに持っていかれ、手元にはほとんど残らないという事実に気づいたのだ。
これでは、なんのための事業なのか、誰のためにやる仕事なのか、わからないと思いましと、税金を支払うことに不満はないが、小林は当時のことを振り返る。寝る間も惜しんで働いた末、お金がほとんど手元に残らないのでは、疑問が生じて当然だ。

同時に、小林の胸中には、もうひとつの疑問が生じていた不動産の専門家でなくても、それが適正価格とはかけ離れ当時、東京の地価は高騰を続け、た価格であることがわかるほどだった。
当時の地価高騰は、実需から来るものではなく、根本的には日本銀行の金融政策により、もたらされたものだったのだ1985年のプラザ合意直後に輸出産業が大きな打撃を受け、日本経済は大きなダメージを負った。
それでもアメリカ経済は貿易赤字に悩み続け、輸出大国であったドイツと日本を標的に、さらなるドル高政策を実施したため、日本経済はさらに打撃を受けてしまった。
この衝撃を和らげるために、日本政府は内需主導型の景気浮揚策を取り、公共投資の拡大に段階的に公定歩合現·基準貸付利率を引き下げていき、長期的な金融緩和策を続けた。
加えて、一時的な景気拡大がもたらされ、だぶついたお金は株式や土地などの市場へ流れ込その結果、み、バブル経済が発生する結果になってしまったのであるこうした背景から、不動産は、プロの目から見ても納得できない、途方もない高値で、あたりまえのように取引されるようになっていた。
土地評を提出している場合それに対し、「これはおかしい。こんな状態がいっまでも続くわけがない」と感じた小林の感いまとなってみればきわめて正常だとわかるが、当時はプロの不動産業者が率先して不覚は、動産熱を先導していたくらいだから、小林のように冷静にバブル経済の不自然さを感知する者けうは稀有だった土地の広さには物理的な限界がある。「売っては買い、いつまでも買っては売る」というビジネスが続くわけがない。
土地は、新たにつくりだすことができない商材だでは、これからの不動産ビジネスはどうあるべきかと、小林があれこれ考えていたある日のことだ。小林の脳故郷の田園風景が浮かんできた。
裏に、小林の実家は、大規模であったとはいえ、基本的には農業を実直に営んできた代々受け継いできた土地から毎年収穫を得て、農業は、その収穫により生活を支えていく生その土地を売り払えば、一時的に莫大なキャピタルゲインを得ることはできるだろ業である。うが、お金は使ってしまえば終わりで、売ってしまった土地を取り返すことは二度とできずあとにはむなしさが残るだけだ。
それよりも、農業のように、その土地から毎年収穫を得ることができる、そんな土地活用の方法はないだろうかと、行き着いたのが、最初から利用目的考えに考え抜いた結果、土地に、がはっきりしている建物を建てる、ということだった。

もう一つの土曜日

その建物を長期契約で賃貸物件として収穫活かせば、その土地から毎年、を得ることができるはずだ賃貸料というこのビジネスモデルがひらめいた瞬間に、農耕型土地活用という、それまでにまったくなかった発想の不動産ビジネスが生まれたのであるこうして不動産ビジネスのコペルニクス的発想転回が行われふら今日のMへの道が開かれていったのであるヘッドリースというビジネスモデル農耕型土地活用とは、具体的に言えば、土地オーナーに建物を建ててもらい、その建物をMが一括で長期間借り受けて有効活用し、その活用により得た収益から土地オーナに毎年きちんと建物のリース料を支払うという土地活用法である。
土地オーナーには毎年、安定した収入が保証され、·ケーもまた、建物を活用して得た収益からオーナーに支払う金エム額を引いた額を利益として確保する。·ケーの三者にメリットがある、つまり、建物の利用者、オーナー、エムWin-Win

Win型のビジネスモデルだ。

と呼ばれるが、ヘッドリーサブリースMではこれをこの方式は、一般にはサブと呼んでいる。オーナーにとって貴重な財産である土地をと呼ぶのは失礼だと感スヘッドリースという独自の言葉ひとつをとっても、じたからだ。土地に対する小林のこの深い愛情が感じられる。

贈与する土地というビジネスモデルが、いかに優れたものであるか、ヘッドリース具体的では、このに見ていこう次のようなメリットがある土地オーナーには、経営や運営の知識がない土地オーナーでも賃貸物件不動産会社が一括管理してくれるため、を建てることができる。
への対応はすべて不動産会社が代行するため、テナント賃借人土地オーナーはテナント折衝や対応をする必要がない。と直接、空き室が出ても土地オーナーに支払われる家賃の総額は保証されているので、収益面は常時安定している。

テナントが退出しても物件の原状回復は不動産会社あるいは提携している管理会社が責任を資産価値を保全できる。持って行うので、「土地を活小林がMの創業以前から持っていた、ある意味で、ヘッドリース事業は、という不動産事業における基本哲学に基づくビジネスだと言えるだろう。
かす」スクはMが負い、オーナーには迷惑をかけないヘッドリース事業と同様のビジネスモデルは、他の不動産会社でも多く手掛けてちなみに、と謳った広告はよく見かける現在も家賃保証いる。
実際、それを不動産会社が借り上げて転貸しオーナーが物件を購入し、こうした案件の多くは、借主が家賃を滞納した家賃からそれなりの保証料を引いた残りの額をオーナーに毎月支払い、場合や空室が生じた場合でもオーナーに対し一定の支払いを保証するというシステムになってる周辺環境や経済環境の変化などを理由に、不動産会社はオーナーに対し賃料の見直ただし、期待どおりの保証が受けられないとしを要求できるという付帯条件がついており、その結果、いう不満やトラブルを抱えるオーナーも少なくないのが実状だ契約に際しては同様の条件がつけられてはいるMのヘッドリース事業においても、万に一つでもそうした不満やトラブルが発生しないよう、ものの、細心の注意を払っ小林は、その姿勢はいまも変わらない。

エコノミックアニマル

て事業に取り組んできた。20年という非常に長いスパンのおつきあいになります。その間スッドリース事業は、10年、物件の経年化などがあり、には当然、社会事情や環境の変化や、リスク要因は少なくありませこうした場合も、オーナーには迷惑をかけないよう、と、小林は言う。だが、リスクはでき小林がヘッドリース事業を行うにあたって守り抜いてきるだけMが負うというのが、た鉄則だ「こちらは不動産のプロです。
プロとして契約した以上、どんな情勢変化があったとしてもあらゆる可能性を追求して、たとえば用途の転換を図るなど、オーナーさんとの契約を守るよ

Mが信頼をいただき、う努めてきました。それがMの企業姿勢であり、評価されている理由だと自負しています」と、力強く語る小林からは、30年間、オーナーに迷惑をかけることなく事業を継続してきたという自負ものぞく。

北野ビルヘッドリース事業第1号案件·ケーにおけるヘッドリース事業の第1号は、第4期に手掛けた、東京都八王子市のエム北野ビルである強いて難点をあげるとすれば、京王線の北野駅に近く、立地条件は最高だった。
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