新賃借人が破産者

地方分権はむだな公共事業を排除できるか

社会にとってぜひとも必要とされる事業をつまり、手掛けると、土地オーナー、自治体、そしてMの三者に大きなメリットがもたらされ痛感したからであるることを「社会に必要とされ、社会に貢献できる事業」を展開することは、安曇野にいたころから想い描いていた、小林の夢でもあった。さらに気がつくと、Mには、自治体と折衝し、そこで課せられるさまざまな条件をクリアするために必要な経験値が身についてきているという自信も備わってきた。たとえば、保育所の開設を考えてみよう。行政の認可を受ければ補助金が出る。保育所は、補助金があれば、その運営に手をあげる民間業者は多数ある。
·ケーには、そしてエムそうした認可を取るなどの面倒な作業をすべて代行してきた実績が数多く積みあがってきていたの前述した、創業してまもなく手掛けた大手百貨店の物流センターも、「市街化調整所沢市のの活用案件であり、当然、区域」自治体との折衝を重ねながら進めたプロジェクトだっ六--六こうした経緯から、Mには自治体とのパイプや開発のためのノウハウができあがり、遊休地や市街化調整区域の活用について、自治体のほうから相談を持ちかけられることもそうしたなかでMの主力事業に成長した増えてきている。
5億円の相続財産で市街化調整区域の開発というビジネスが生まれ、育っていったのである。大きなペナルティを支払って学んだこと市街化調整区域すでに述べたように、における大型開発事業の第1号は、1998年に埼玉県日高市に完成した、大手物流会社の埼玉物流センターであるこれは、敷地面積約1万4200平方メートル、建築面積約1万4500平方メートルという壮大なスケールの大規模開発で、創業10年に満たない当時のMにとっては、とてつ

もなく果敢なチャレンジであったはずだ。
首都圏から40キロメートル圏内にあり、市の東側には首都圏中央連絡自動埼玉県日高市は、西側には国道299号線が走っており、車道圏央道と国道407号線、関東圏内をカバーする物流センターの建設地として立地条件は上々だ。

市街化調整区域が広その日高市の、狭山日高インターチェンジに近いところに広大な開発が可能ならば、ぜひ利用したいと、早くから大手物流会社が手をあげていたがっており、市街化調整区域の開発など、それまで、不動産会社はもちろん、しかし、行政側も手掛けそうした事情もあって、その土地は長いあいだ放置され、たことがなかった。

荒れるに任されていた。だが、多摩中央ミサワホーム時代の縁をたどって建設省(当時)の課長から「インタ小林は、チェンジから500メートル以内なら、倉庫や配送センターなどになら開発は可能」という話建設省から日高市に働きかけるかたちで開発の端緒を切り開いた。しかし、市街化調を聞き、整区域開発の許可を得るための申請書類をひととおり作成するだけでも、想像をはるかに超える作業だったという。

着工のめどが立ったところで、大手物流会社と正式に契約を結んようやく開発許可を得て、だが、行政との仕事の展望がだ。

安全安心

納期を設定しての契約である。そのあとで小林は、むろん、甘すぎたことを痛感させられた民間企業どうしでの契約で工事を請け負った場合は、工事を進めていく過程でクたとえば、ライアントの確認や許可が必要な状況が生じたとしても、工期に遅れを生じさせたくないという共通認識を双方が持っているため、そうした手続きは迅速に行われるケースが多いように思行政との仕事となると、そうした感覚は民間企業と比べて少ないのか、われる。

しかし、必要な手続きが終了するまでに予想以上に時間がかかった。そうしたことが1回ではなく何度も繰契約時に定めた引渡し日から3カ月も埼玉物流センターの完成は、り返され、結果として遅れてしまっ埼玉物流センター大手物流会社としては、の使用開始時期は当然ながら、一方、エム.ケーとの契約時に定めた引渡し日からを予定していた。

収益不動産の開発しかし、埼玉物流センターの完成が当初予定より3カ月遅れたため、その間、大手物流会社は仮の物流センターを急遽つくって対その費用はMが負担することになる応しなければならず、なんと1億円を大きく超える出費を余儀なくされたのだが、小林はこうしてMは、黙ってそれを受け入れたという。契約自体がキャンセルになっ「行政からの許可が遅れるたびにいちいち言い訳をしていたら、た可能性も大きかったでしょう。もしキャンセルになっていたら、Mとしても以後の大規模開発を請け負う意欲を失い、経営基盤も大きく損なわれたと思います」当時のMの年間売上高は約4億3000万円であり、1億円をと、小林は言うが、かなりの痛手だと考えるのが普通ではないか。
超える大きな出費はそれだけの出費があっても決算上で赤字にならなければいいと肚をくくっただが、小林は、というから、その度量の大きさには感嘆するほかはない。Mは信頼できるとお墨つきをもらうことができた大手物流会社からその結果、のだこの案件を完成させたことで、また、社内に目を向ければ、社員たちはみな大きな自信を得市街化調整区域た。

亡くなる前日でもOK!

の開発のための行政との交渉という、他社にはまったくないノウハウも手に入れた市街化調整区域をみごとに活用してくれたと、そして行政からも、お荷物だった厚い信を獲得できた

市街化調整区域このように、の開発に挑み、みごとに成功さ誰も手をつけようとしないせたこの案件からMが得たものは、計り知れないほど大きかったのである埼玉物流センターができたことにより、狭山日高インターチェンジ周辺の開発はいっきに当時の日高市の市長からはMさんには足を向けて眠れない進み、とまで言われたそうだ。
現在のMこのときのMに対する評価と、大きな失敗を通して得た経験は、の主力事業である市街化調整区域開発事業の成功につながっていった。さらにつけ加えると、この経験からMは、納期管理の徹底という鉄則もしっかりと納期管理には、行政の許可が遅れたとか、身につけた。天候不順だったというような言い訳はいっさい利かないことも胸に刻みつけた。

これ以降、Mでは、ペナルティを受けるような納期遅れはいっさいないというから、実に立派なものだと感心するほかはない。そして、ここから、第1章で述べた市街化調整区域開発事業が次々と持ち込まれるようになり、Mの経営基盤と言えるメインの事業へと発展していくことになるのである。

働き方改革を先導する

徹底した少数精鋭主義と女性の活用-

粒選りの少数精鋭集団これまで見てきたように、市街化調整区域複雑な手続きが必要なうえ、の開発には、ときには100人単位にもなる複数の地権者の思惑が絡みあうケースも少なくない。

単なるミスにもかかわらずMは、大型案件を次々と、それも短期間のうちにまとめあげ、かたそこに雇用が生まれ、地権者には安定した収入が、ちにしていく。開発したあとには、市町村には新たな税収がもたらされるそうした事例をこれまでにいくつも実現してきたMには、現在、全国の自治体から熱烈なオファーが数多く寄せられており、複数の案件が常に並行して進められていそのため、るだが、Mの社員数はいまも約40人であるそんな少人数で、これほどの仕事をこなしていると聞くと、社員たちはみな夜遅くまで身を粉にして働いているのではないかと思うかもしれないが、Mでは基本的に、退社は遅くてもだいたい午後7時ごろであり、残業は平均して週に10時間前後だという。